ゲイジュツテン。


「芸術点」

この類いのことを考えた時、いつも思い出すのは「伊藤みどりとカタリナ・ビット」のこと。

デフォルメしたみたいなずんぐりむっくりの伊藤みどりは、般若みたいな顔をして、氷上を暴走トラクターみたくゴリゴリ滑って飛んで、女子の最高難易度のトリプルアクセルを決めて、最高の技術点を叩き出す。

カタリナ・ビットは何しろ見た目が美しい。トリプルアクセルを飛ぶだけの技術はなくて、なんかフワッと2回転くらいしか飛ばないが何せ美しい。氷上をミズスマシみたくスイスイ泳ぐ。



で、カタリナ・ビットが勝つ。

キス&クライで、吐きそうなくらいヘトヘトのみどりと、涼しげな顔して投げキッスするビット。


子供心に「見た目なんだなぁ」と感じた。


「芸術」って何なんだ、って考える。

キミの感じる「芸術的だなぁ」と、ワタシの感じる「芸術的だなぁ」は、そもそも全然違う。

そもそも全然違うのに、みんなそれぞれ違うものさしなのに、たまたま審査員に選ばれた数人のものさしで謎の芸術点が産み出される。

美人のゆったりした表現は芸術的で、ブスの必死の表現は芸術的ではない。物凄く失礼を承知でまとめるとこうなる。

これは芸術なのか?
そもそも芸術って、何かきまった「くくり」で評価していいのか?

タイムを競うとなると話は単純で、時計が万国共通のものさし。飛んだ長さ、高さ、持ち上げた重さも同様、センチとかメートル、キログラムがものさし。

ゴールに入れたら1点、リングに入れたら2点、遠くから入れたら3点とかも分かりやすいし、相手を倒したら、押し出したらとかもものさしが分かりやすい。(反則とか細かいのはちょっと無視して)

美だ表現だを評価して優劣をつけるのは、どうにも清潔感に欠ける気がする。



という流れで、昔少しだけかじっていたお芝居とかエンタメの領域に目を向けると、謎のゲイジュツテンのオンパレード。

「うまい」って何なの?「味がある」って?「個性派」って?

全部それぞれ各々のものさしで計ったにすぎない。なのに無理くりまとめて最優秀主演男優とか作品賞とかを盛大に評価する。誰かのものさしでは、その人、その作品はむしろ苦手だったりするやも知れないのに。



昔、ふた周り近い年上の先輩役者に「演劇は芸術ですか?」とたずねたら、食いぎみに「芸術だよ」とあっさり返された。あれこれややこしい話になるのもアレだったので「おぉ、なるほど」と言うにとどめた。

ワタシは昔も今も演劇やが芸術だなんて思ったこともなかった。ワタシは、演劇は大衆娯楽だと思ってやっていた。このへんのことは話し出すと長くなるから、時と場合と相手を選んでそのうちどこかで。



結果的に

今ワタシは、一生懸命挑んでいるアスリートの姿とか、普通の人の作為的じゃない仕草や言葉に、やたら感動させられる。

このへんに、ワタシの個人的なゲイジュツテンをあげちゃう。

2017.12.07 Thursday | - | 20:20comments(0) | - | by 座長おくはら

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2017.12.08 Friday | - | 20:20 | - | - | by スポンサードリンク
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